
ひとりひとりの特性に
合わせた柔軟な人事と
事業展開
荘司 祐輔 しょうじ ゆうすけ
38歳
入社した経緯を教えてください
20代の時は、普通のサラリーマンだったんですが、祖父が花屋さんをやっていたので、合間を見て手伝っていたんです。満員電車に乗るより、こっちのほうがいいなと思っていたときに、ちょうど雑誌に中田造園の求人情報が載っていたのを見つけて転職しました。
おじいさんの花屋さんは店頭販売していたんですか?
いえ、桃の木とかを、木から育てて市場に卸していました。なので、小さい頃から草木には親しんでいたんですが、それを仕事にしようとは思っていませんでしたね。サラリーマン時代は営業をしていたんですけど、めっちゃ暗かったんで・・・馴染めなかったんです。それで、応募してみたってのはありましたね。
今の明るい雰囲気から考えると考えられませんね。
あまり人が好きではなかったのと、話をするのも得意ではなかったですね。今だったら楽しくできると思いますけど。中田造園に入った時も暗かったですね。
何歳の時に入社されたんですか?
24歳の時に入って今38歳なので、もう14年間中田造園にお世話になっていますね。
その時は人数どのくらいだったんですか?
今よりちょっと少なくて十数人だったと思います。年齢層は大分高かったですね。
人数がそこまで変わらないのに、売上は大きく変わっていますね。
仕事内容がガラッと変わって、下請会社から、元請会社になったことが大きいと思います。事業も造園工事だけではなくて、土木工事、外構工事、上下水道工事、河川工事、舗装工事と多角的になりました。

荘司さんはどんなところに仕事の面白みを感じてらっしゃいますか?
今は土木の現場を監督しています。最近は見積りだったり、書類仕事も少し増えてきていますが、現場が大好きです。
現場にいるからこそ、できた瞬間は嬉しいですね。あと、マンションの外構工事の際に、水道屋さんとか、電気屋さんとか、いろんな業種の人と働くんですよ。いろんな人と関わるのは楽しいっすね。
人嫌いだったのに?
そうなんですよ!そうなんですよ!
それは中田造園の影響が大きいということですか?
それももちろんそうだし、周りの人の影響なんだと思います。仕事先の方達とか、子どもが生まれてからはパパ友からもあるし、いろんな交流が増えて、だんだん明るくなった感じですかね(笑)。
入社当時は、年配の方との師弟関係とかありましたか?
そうですね。職人気質で、親方!という感じだったんですけど、そういう状況は今ではもう考えられないですね。ガラッと変わったのは、今の中田社長になってからだと思います。でも・・・社長は最初めっちゃ怖かったんですよ。
え?そうなんですか!?
僕も変わったと思うんですけど、社長が一番変わりましたね。最初は、いち作業員として現場作業も一緒にしていたんですけど、社長になったタイミングからすごく変わったと思います。勉強熱心ですし、今も一番勉強していますよね。だからどんどん会社が良くなっていっていると思うんです。

会社の変化が大きかった14年間だったと思いますが、荘司さんの仕事はどう変化しましたか?
僕は、結構飽きっぽい気質なんですけど、会社の中で一番いろんなことをさせてもらっていると思います。社長もいろんなことをやっていて楽しいんですけど。得意なことはもちろんですが、社員それぞれの特性を活かして仕事を与えていると思います。楽しい・・・その上で、やれそうなことをどんどん振っている感じです。
僕、入社すぐのタイミングで事故を起こしてしまって、左足に大きな怪我をしてしまって木に登れなくなっちゃったんです。今はもう治ったんですけど、植木屋さんとして働けない状況になってしまって、おそらく社長が気を遣ってくれたと思うんですけど、少しずつですが、土木の仕事を社長と2人で始めたんです。
怪我のせいで造園の仕事は中途半端にしかできないし、もう仕事も辞めようかな・・・と思っていたんですよ。でも地面仕事はできたので、ひとりで土木屋さんの手伝いに行かされたりとか、修行期間みたいなものもありました。最初は嫌だったんですが、社長と2人だけだった土木部門が、今や中田造園の屋台骨のひとつになっています。
会社を伸ばすために事業を拡大して、そのひとつに土木部門があると思っていたんですが、その発端は違ったんですね・・・。
わからないです・・・僕は社長の気遣いから始まったんじゃないかなと思っています(笑)。
最後に今後、中田造園でやりたいことってありますか?
僕は趣味で、ランドセルの寄付とかしてるんですけど、何か地域に貢献できるようなことはやっていきたいですね。あとはより楽しんで仕事ができるように、今社長が社内教育制度を作っているんですけど、それをきちんと自分の後輩に自分で伝えられるようにしたいですね。